卑しさと勇気

絶対的なものに価値を置く
それは自分の中にしかないんじゃないか?

外や、他所に価値を置くと
必ず価値観が相対的になってしまい
揺れる

他人に勝った負けたって何だろう?
それは自分の値打ちを決めるのを
他人に依存してるよな

他人は自分にないものを持っている
自分は他人にないものを持っている
そこに勝った負けたはあり得るのか?
その判断基準は幼稚じゃないか?
刷り込まれたものじゃないか?
自分の頭で考え抜いた判断基準か?
違う。

心が貧しいんだと思う
他者を踏み台にして自分を安定させるのは
優越感
劣等感
自分との向き合い方が、
それじゃああまりに表面的すぎるだろう?
浅すぎるだろう?

そういう卑しい価値観や
自分の労力を出し惜しみしたりの
卑怯さが
心の貧しさの根本だと思う。

では心を豊かにするには?
今に、素のままの自分を出し惜しみしない
勇気を持つこと
今この瞬間に頭で考えずに
ありのままの自分を投げ入れていくこと
夢中になって行動することで
自然と養われそうだと思う。






一点集中

自分の絵のデッサンで
出来てなく、先生に指摘されているところ

・全体の仕事のペースが各所で揃えられてない
・全体の明暗のトーンが揃ってない
・全体の暗さが足りない
・最初にするべき仕事(大きな立体として見て
面の変化を感じさせる所)が終盤でもなされてない

等等あるけれど、
一つ一つを一点集中して突破して行きたい

絵で使うのは目と手だ
視覚と触覚
筆の技術、画面構成のノウハウ
数々あれど、
目という「インプット」の使い方が
間違っているから
手という「アウトプット」がズレたものに
なって来ているのではないか?と思う。

自分の目は明らかに
全体を見れていない
また、
「カタチ」を絵で、
見る人に伝える上での
抑えるべきポイントも曖昧なままだ

そういう課題が無数にある状態でも
これまで絵を自習自得で
上達に導いて来た経験から
どうすべきかは見えて来る。

課題を細かく分け
その一つ一つを徹底的にやり込むのだ。
例えば口が上手く描けないなら
ひたすら口を上手く描けるまで
徹底的に描きまくる。

先ず、手先の前に
目の見方を変えたいのであれば
徹底的に自分の中で、オートマ化するまで
全体を見るということをやりまくる。
出来ているか、出来ていないかの判断は
全体の進行ペースが揃っているか?
全体のトーンが揃っているか?
によって画面から読み取れる筈だ!


地道なことこそ大切にしたい

地道なこと

正しい姿勢を維持すること
その為の稽古

呼吸はゆっくりと深くすること
その為の座禅

会話では自分の判断を先に挟まずに
ありのままのその人を
全力で理解する姿勢
シンパシーを大切にすること
相手に欲を投影しないこと

自分の裏も表も
つながること
直観を磨くこと
素直でいること

料理、キチンと向き合って作ること
素材の特徴を知り
活かし方を修得すること

睡眠は、入る前の頭と身体の状態が大事
リラックスして質を上げること
たっぷり眠ること

思考、自分の考えを持つこと
そのために他人に頼らず
自分の頭で考え抜き
判断すること

絵、改善点に手をつける
一つのテーマを
身に付けるまで
徹底的に練習する

そんな毎日の繰り返し

シンドイ時の対処

マイナスへの処し方
上手くいかない時こそ
これが自分の実力だと考える

周りを否定して
安心しようとするのではなく、
向き合うべきはそんな
卑怯な自分自身だ。
周囲にストレスを発散するのではなく
自分の中に圧を高めて
求心力を高めていく

感情的な痼(シコリ)を
自分の中に引き摺ってしまうのは
キツイから、シンドイから
目の前のことから逃げて
感情的な痼と遊んでいる方が
楽だから引き摺るんだろう
ラクな道を選んでいるに過ぎない

自分の中に否定を溜めない
そんな暇があったら
全力でやる

気分転換して
集中し
全力でやって
「流れ」を作り
流れに乗っていく

ない方を見ろ!

武術も絵も一緒
「ある方」ではなく「ない方」に行く
「ない方」=空き、隙間、空間、まだ手を付けてない所

何かを観察して理解しようとする時
「構造化」して考えたい

今、自分のデッサン技術を
レベルアップさせていくのに必要なのは
①道具、鉛筆の技術
②描いている要素の優先順位、その正確さ
の二通りだと考える。

①鉛筆の技術
・鉛筆を理解する
   ・色の濃淡がなぜこれほど種類があるのか?  
   ・鉛筆で言う「彩度」とは?
   ・その鉛筆は筆圧の強弱によって
       どれ程の幅のある仕事が出来るのか

②描く優先順位(伝わりやすい所から)
・隅っこを決める
・正中線に対して「水平の面」「垂直の面」を取る
コントラストが最も強い部分で、画面で最も暗い場所から描いていく。上下左右全体を見ながら、「ない方」「ない方」へと。
・複雑な立体感も、先ずは大きな流れから作っていく。隅から隅まで
・立体感を出す。
    光がどの方向から指しているか?
    反射は?
  「出ているところ」「引っ込んでいるところ」「後ろに巻き込む線」またそれぞれの明暗の微妙な強弱。



準備

準備・実行・後始末

どんな準備ができるだろう?
「実行」から得たフィードバックを経て。

準備とは1人稽古
その稽古は何の為にするのか?
先ず目的を明確にする。
そして、
では目的達成のために
どういうステップがあり
それを行っていくのか?

つまり、稽古内容を各要素に分けて
それぞれを繰り返し反復練習し
修めていき、
目的を達成する。

その1人稽古の体系を明確にし
サイクルを回すこと
繰り返しの反復練習こそ
準備ではないだろうか?



思考=統合

思考の技術とは何だろう?
思考するとは
何の為にあるものだろう?

思考するとは
経験や情報・知識を統合し
血肉化していく過程を言うのではないか?

現実を観察し
それを元に思考しなければならない。
現実に対してフィードバック出来ること。

「知識」のみを元に思考を重ねると
現実と乖離しやすい。

「経験」も元に思考しなければならない。
経験をどう受け止め
どう次に繋げていくのか?

思考の道具は「言葉」なので
どうしても現実を
一つ一つの言葉ごとに分断してしまう。
なおかつ現実というアナログの
微細な違いというものをそぎ落として
概念というデジタルなものにしてしまう。

空から水が落ちてくることを
「雨」と言ったって
全く同じ「雨」などありはしないのだから。
しかし「雨」と言った瞬間から
一般化された何となくのイメージの雨となる。

絵のデッサンで言えば、
言葉だけで、概念だけで思考し
現実に対処しようとするのは、
描く対象の物を観察せずに
自分の頭の中のイメージだけで
描くのに似ている。
よってそのデッサンはズレてしまう。

思考とは行動の判断の元にも
なるものだ。
感覚・経験と情報・知識の両方の
要素が必要になる。