先ず自分

何故、自分は他者に無関心だったのか?
大人たちが喧嘩に明け暮れる
家庭環境があって
他人とは関わりたくないと思って
生きて来た。

他人と関わるのは
いつ口撃されるのか?
いつ嫌われるのか?
恐怖、不安だらけだった。

だから
他人と話す時に
体がギュッと緊張する癖がある。
またどんな人の前でもありのままでいる
ということが出来なかった。
どんな人に対しても防御を
とってしまう自分がいる。

しかし、これは他者との関係の中で
生きていく際に大きな障害となった。
一番際たるものは恋愛だろう。

自分の身を守る事にしか
関心がなかったから
相手を思いやる想像力に欠けていた。
相手に自分のありのままを
さらけ出すことが出来なかった。
そんな人間の恋愛が上手く行くはずもない。
いつも距離がある自分に対する
苛立ちから喧嘩をふっかけられ
喧嘩してはすぐに別れの
繰り返しだった。

だからこそ、
このクセづいた自意識を
変えていきたい。
自分はこの悪いクセを
取り払いたい、そう欲求している。

しかし、この問題の対処は
その場しのぎになりがちだった。
まず先に
自分はどんな欲求を持ち
どんな目的を持って生きているのか?
これを明確にしないと
他者との関係も見えてこない
自分が曖昧なままだからだ。

関係

自分にとって他人とは何か?
関係

先ず社会的な関係
自分を中心点にして
自分の仕事
自分の生活、消費
自分が持つ「役割」を通した関係
どれも他者が居ないと成り立たないという
基本中の基本がある
(こんな簡単なことすら
言語化するまで気付けないし
まだ腑に落ちきっていない)
食べ物を作る人、衣服を作る人、
住居を作る人、
その間の流通、仲介をする人、、
そしてその素となる自然、
大地、海、空、地球、太陽、宇宙
の関係の中で生きている。

「関係の中で生きている」という基本
自分以外の何物からも
無関係で生きることは
人間は出来ない。
これが基本。

では、
自分は他者とは無関係でいられない
根本があるにも関わらず
他者に無関心でいられたのは
何故だろう?

自分と対峙しつづけること

自分にとって他人とは何だ?
そもそも自分は何者なのか?
自分は何を欲求しているのか?
自分は何を目指しているのか?

自我や自意識を知り、それらと対峙し続ける

それには人間を知らなければならない。
幅広い人間知を持って
自分自身を見返さなければならない。

現在の自分は
自我が出来上がる過程での、
自分が知った範囲内での
知識、社会体験によって
すっかり自分の思考のクセが
出来上がってしまっている。
その「」内でしか
自分を判断出来ないからだ。

つまりその「」の外にあることを
取りこぼしてしまう。
今現在のレベルの自分の
目に見えるものしか分からない
可能性がかなり限定された
「自分」に落ち着いてしまうからだ。

そういった可能性やポテンシャルを
含めた人間としての自分を知りたい。
このがんじがらめになった
卑小な自意識の殻を破り続けて
成長させたい
今の「自意識」では届かないレベルに
あるものを捨て身になって体得したい。






絵の全体を見る

仕事量の多さ、少なさを
見極めてバランスを取っていくこと

全体を見てバランスを取ることが
まだまだ出来ていないから、
「絵の全体を頻繁に見る癖をつける」ことを
これからも徹底しよう。
その為に少し描いたら、
全体の中でそこはどう成ったかを見る。
逐一。

そして絵を描く以上は
絵から逃げない。
自分の出来る限りの仕事をしよう。

直接間接

心の問題を治すには
心を直接どうにかしようとするのでなく
体を使うことで
間接的に解決に繋がる気がする

直接ではなく間接
自意識ではなく無意識を
使った解決方法があるんじゃないか?

例えば
相手に気をとらわれたり
相手の欠点ばかりを探してしまう
思考の"癖"があるとすると
しれを直接考えちゃダメ!とするのではなくて
考え始めたなと自分自身で気付いたら
パッと考えることから呼吸の
吐く息の数を数えることに意識を逸らす
すると間接的にその癖に囚われなく
なっていけるのではないだろうか?

卑しさと勇気

絶対的なものに価値を置く
それは自分の中にしかないんじゃないか?

外や、他所に価値を置くと
必ず価値観が相対的になってしまい
揺れる

他人に勝った負けたって何だろう?
それは自分の値打ちを決めるのを
他人に依存してるよな

他人は自分にないものを持っている
自分は他人にないものを持っている
そこに勝った負けたはあり得るのか?
その判断基準は幼稚じゃないか?
刷り込まれたものじゃないか?
自分の頭で考え抜いた判断基準か?
違う。

心が貧しいんだと思う
他者を踏み台にして自分を安定させるのは
優越感
劣等感
自分との向き合い方が、
それじゃああまりに表面的すぎるだろう?
浅すぎるだろう?

そういう卑しい価値観や
自分の労力を出し惜しみしたりの
卑怯さが
心の貧しさの根本だと思う。

では心を豊かにするには?
今に、素のままの自分を出し惜しみしない
勇気を持つこと
今この瞬間に頭で考えずに
ありのままの自分を投げ入れていくこと
夢中になって行動することで
自然と養われそうだと思う。






一点集中

自分の絵のデッサンで
出来てなく、先生に指摘されているところ

・全体の仕事のペースが各所で揃えられてない
・全体の明暗のトーンが揃ってない
・全体の暗さが足りない
・最初にするべき仕事(大きな立体として見て
面の変化を感じさせる所)が終盤でもなされてない

等等あるけれど、
一つ一つを一点集中して突破して行きたい

絵で使うのは目と手だ
視覚と触覚
筆の技術、画面構成のノウハウ
数々あれど、
目という「インプット」の使い方が
間違っているから
手という「アウトプット」がズレたものに
なって来ているのではないか?と思う。

自分の目は明らかに
全体を見れていない
また、
「カタチ」を絵で、
見る人に伝える上での
抑えるべきポイントも曖昧なままだ

そういう課題が無数にある状態でも
これまで絵を自習自得で
上達に導いて来た経験から
どうすべきかは見えて来る。

課題を細かく分け
その一つ一つを徹底的にやり込むのだ。
例えば口が上手く描けないなら
ひたすら口を上手く描けるまで
徹底的に描きまくる。

先ず、手先の前に
目の見方を変えたいのであれば
徹底的に自分の中で、オートマ化するまで
全体を見るということをやりまくる。
出来ているか、出来ていないかの判断は
全体の進行ペースが揃っているか?
全体のトーンが揃っているか?
によって画面から読み取れる筈だ!