記憶と身体

記憶は身体に刻まれている
のではないかと思う。

ふとした時に記憶が再生される。
「思い出づる」時、
自分の場合はその時、その場面の
自分視点からの映像と、
身体が感じた体感が再生される。

体感の再生は
明らかに身体の変化として
表れている。

それら映像と体感それらの内
言語化されたものだけが
脳で扱われているのではないか?
と思う。

記憶とは
普段生きていて、
体外体内から受け取っている
情報のうち
自分にとって意識化されたもの
ピントが合っちゃったもの
に限られているのではないか?

無意識には
自分が接するもの全てから
情報を得ているとすると
その大きな氷山の一角に
過ぎないものが
記憶の範囲ということになる。


怒りや悲しみを抱えた家族の中で
育つと、
恐怖や不安という記憶が
身体に溜め込まれているということ。
ということは
現実という巨大な氷山の中で
意識は怒りや悲しみ恐怖や不安を
想起させることにピントが合いやすい
状態になっているのではないか?
という疑問がある。

本当は自分の汲み取り方次第で
自分自身を成長させていける体験かも
知れないのに。