中心は感じること、思考はその縁

「快」気持ちよかったり、心地よかったり
落ち着いたり、楽だったり
それらは、当たり前だけど
思考を働かせている最中には無かった。
唯々、感じることだった。

考えている間、
本当に感じることに鈍感になる。
四六時中考えてばかりいると、
自分のからだに鈍感になるのも
無理はない。

考えず、
ただただ、感じることは、
ただただ、生きていることに
気づかせてくれる。

理由なんか分からない
考えたって分かるハズがない。
思考は生きること、本能、
感じた結果、の補助に過ぎない。

感じることが
生きることの中心なら
思考はその周縁だ。
周りを回っている。
その運動に囚われたら
体と心のバランスを崩すのがオチだ。

意識を散漫にするように
思考するのではなく、
感じたことを、
1つにまとめあげられるように
思考すべきだ。

そのためには
自分の思考一つ一つに囚われず、
思考の全体を俯瞰できるように
しなければならない。

目に見えるように外に書き出して、
グループ分けを丁寧にくりかえすことだと思う。