映画『コヤニスカッティ』

情け容赦ない巨大な社会の流動の中で
我々はバラバラに専門分化され超近視眼的に
ただ反射的に生きてる。

オーケストラと工場の労働がシンクロし過ぎて
笑いと哀しみが同時に込み上げてくる。
本物のオーケストラを目の前で聴きながら
バックスクリーンに映像を流して欲しいくらいに、音楽も主役だ。

もし、コヤニスカッティの戦前版があって
日本軍首脳が事前に観賞してたなら
「アカン、こんな化け物じみた国に勝てるわけない」って太平洋戦争は回避されてたかも。
そんな妄想を抱くぐらいの
アメリカの都市の巨大さ自動化された社会を
嫌という程、見せつけられた

徹底的に対象に向き合うことを強いられる映画
特にジャンボジェットの様な巨大なものと
一人で向き合うのには力が必要だった。

「疑いもなく進んでいく生活は、まさに宗教的営みだ」
当然の習慣を「疑わない」ことは盲目の信者だ。拝金物質教。
社会は絶えず問題を我々に訴えかけている、見過ごされ続けながら。

物作りとして監督や作曲の言葉が印象的だった。この作品は観客に気に入られるためのものではなく、自らが作ることで悟りを得るためのもの。CMの映像と音楽には観客の入る隙間が無い話。時間をかけて良くするために何度も作り直した話。そして、この映画は陳腐な作り話ではなく、体験であり続いていく旅であるという話。