他者

他者を通じて「私」を知る
「私」について知る、その幅の広さも深さも欲しい。

相手を自分の「正しい間違ってる」で裁くようになって、どんどん他人を受け容れなくなっていった。どこまでを許せて、どこからが許せないのか?

他者からは快を得たい。あまりに自分の中に不快が多かったがゆえに。
ただ現実は、他者は自分に快も不快も与えてくる存在だということ。その他者から貰う快だと感じられること、不快だと感じられることの線引き、受け手の自分のラインが幼いのでは?成熟していない、幼稚なままではないか?という疑問。

不快があるからこそ、快がある。
孤独があるからこそ、二人の大切さがある。

相手の興味、関心の“点”を作ってみる。