掌-たなごころ-

手で触れる対象を感じようとする時
指先が力んでない事が大事だ。
指先が力むと、
握った鉛筆の中心軸を感じられなくなる。
相手を無いものとして扱ってしまう。

それは
手で扱う道具の扱いを上達する上で
非情な妨げになる。

鉛筆でコップのデッサンを描く時
例えば、コップのフチの線を引く瞬間には
あのコップのフチの滑らかなカーブの
「肉体的な実感」が伴っていなければ
ならないし、
翻って紙に押し当てた鉛筆の先の感覚も
自分の中に感じていなければならない。

しかし
手、全体や指先を力ませて鉛筆を
握っているとそれらを「感じること」を
殺してしまう。
メチャクチャな鈍感になってしまう。

道具を手で扱う際には
握るではなくて触れる感覚を持つこと。
そのために手の平の真ん中、「掌」が
大切だろう。

忘れがちな掌の感覚を
自覚する上で大事なのは
掌に通じる手首と
掌を中心とした手の平の端点
小指が大切だろう。

この触れる力まない、は
心という道具にも当てはまるのでは
ないだろうか?

たった氷山の一欠片だ

分析しない
考えない
自分の中に
生じたものを感じる
丸ごと受け入れる
そして体の外へと流す

仕事で難題にぶつかった時、
分析して細かく分け
小さくした課題一つ一つを
クリアしていくことで
全体を進めていくことは
有効な方法だ。

しかし、
それがこと自分を理解する時に、
分析して分かるのは
「たった氷山の一欠片だけ」と
肝に命じておこう。

分析の使い方を間違えてはダメだ。
思考とは結局、
科学の実験と同じで
限られた条件下の限られた範囲でしか
答えられないものだ。

しかし、自分という
意識も無意識もひっくるめたものに
対して、思考だけで分かったつもりには
到底なれない。
人間を思考だけで分かった気になれるだろうか?
そこには都合のいい条件や範囲は
ないからだ。

体がどんな状態かを観ておく

本気とは「状態」であるなら
その状態になれるように
「姿勢」から変えていこう

本気で絵に向き合って
楽しんでいるときはどんな体か
本気で人に興味を持って
話している時はどんな体か
本気で自分に向き合う時は
どんな体か

自分に対する礼儀

自分への向き合い方
「自分の本音」への「尊敬」
つまり素直さ

他人の反応に依存して
人の反応によって
自意識が、「自分」に簡単に失望して
「自分」に対する態度を急変させても良いのか?
よーくよく考えよう。

他人の反応によって簡単に自分の中心
自分の意志を失ってしまっていいのか?
そんなに簡単に譲るのか?

「自分」に敬意を持て。
「自分の本音」とコツコツと
信頼を築け。

欠点

どうして他人の欠点ばかりに目が行ってしまうのだろうか?
普段から、自分で自分の出来てない所ばかりを
数え上げているから、
常に欠点に意識が向くようになっているのではないだろうか?

しかも
それとは反対に、「自分は他人よりも何でも出来る」というような
傲慢で幼稚な妄想まで有る。

と言っては
自分が他人よりも出来てない時、
今度は自分の欠点を非情に責めて、
ガクッと心折れてしまって
非常に落ち込むのだ。

どうしたいのか?
もっと根本的に
自分と向き合いたいんだろう?







描く・コントラスト

コントラスト、明暗・強弱の対比は、
光と影、モノとモノの比較で起こっている。
だったら
明るい面ばかりでなく
暗い面ばかりでもなく
一緒にセットで描くべきだ。
それが絵を進めるということ。

だから
一番コントラストが強く感じる所を定めること。
画面内に序列をつけること。

また、
見ることを鍛えるためには
相手(対象)に一旦、制圧されること
相手の色に染まり切ること
そこから
自分の色に、自分の道に
戻れれば良い

受け入れる

自分自身も他人も
自分の体の芯まで受け入れること。
胸やおヘソ辺りでギュッと固めずに
肚の底まで受け入れること。

そうすると嬉しい。素直になれる。
肚に産まれたものに素直にいること。

出来ない時は
スグに上手くやろうとしないこと。
インスタントに上手に解決しようとすると、
自分の成長に対する長い目で見ることが
育たない。

長い目で見るんだ。
上手く行かなくたって